読めない時になにをするのか
インプットに置いて、読むことは中心的な方法となっている。本や記事を読むことによって新しい考えを得る。サッとどこでもできる行動が読むことなので、必然的に読むことによってなにかを得ることは多くなる。
だが私はときたま、なにを読んでも頭に入ってこないことがある。
書くことはできる。それは話すことと同じだから。出すことはできて、入れることができない。
なぜこんなことが起こるかというと、それはおそらく脳のオーバーヒート状態だ。
脳の中がパンパンでなにも入り込む余地がない。だから脳の中のいらないものをすっきり出し、更に整理整頓する必要がある。
散歩に行こうと思ったがどうだろうか。それじゃあれこれ考えて逆効果だ。走るくらいの勢いがあればそちらに集中できて考えは吹き飛ぶかもしれない。
そういう意味では部屋で運動をすることも有効だろう。ただこの時の気分は落ちて無気力なので、無理な運動はできない。負荷をかけてとどめるタイプの筋トレが良いか。
瞑想はおそらくもっとも現実的な解決策だ。ただこの時は座ってやるより横になったほうが良い。目を閉じて無になる。上手く行けば周りの世界がぐるぐるしてきて重力から解放された気分になれる。こうなれば脳は相当すっきりする。
はじめにも言ったが、なにかを書くことに没頭してもよい。今もこれを書いているが、普段より明らかに言葉が出てくる。溢れそうなところから流してやるのは自然な流れだからだろうか。
音楽を味わうのも良い。こういう感傷的な時にしか響かない音楽でプレイリストを組む。人間模様の虚しさを描いたような曲がいい。私は好んでSEEDAを聞いている。
でもどれも、なにをしてもその空虚感は消えない。根っこが取れない限り完全に消えることはない。その根っこはきっと各々が心の奥で理解しているように思う。ただその解決策がよくわからないだけだ。
だがきっと心配はいらない。その根っこはトライ&エラーを繰り返すうちにいつか取れる。自分が普段しない行動を毎日少しずつ取って、自分の枠をを広げていく。そうすればイボのようにその根っこは自然に心から消え去るだろう。根拠は無い。
文字が読めない時は脳が休息を必要としているサインだ。
そのサインを上手く扱いその時に適した行動をする。そうやっていけば無駄な時間が本当になくなるのかもしれない。
自分が取らないであろう行動を1つ選択してみる。
少し違うなと思った散歩を試してみる。帰ってきた時の気分を書き留める。明日はそのエラーを学んだ私がいる。きっとそれでいい。そう思う根拠はやっぱり無いんだけど。