なんのために生きるのか考えてみた
私は生きるモチベーションが低い。
仕事がどうとかじゃなくて、そもそも生きるためのエネルギーに欠けている。
そんなことをずっと感じていて、でもなんとかもっと強く生きてみたいという気持ちもあってチャレンジするのだが、当たり前に生きたいと思っている人には当たり前に勝てない。
持っているエネルギーの総量が違いすぎるのだ。
生命エネルギーに欠けているということは、何をするにもエネルギーを要するし、ちょっと油断すると破滅的行動に出るということである。
それでも生きていたいなぁとどちらかというと思うので、なんとかそのエネルギーを得ようと生きる意味を考えてみる。
25歳の今たどり着いた答えは、「また誰かに会うために生きる」ということである。
自己実現とか、金持ちになるとかは、この際どうでもいいんじゃないかと思えてくるくらい、この答えが今のところしっくりきている。
海外に住む友人がいくらかいて、彼らにまた会いたい。
できれば笑って会いたい。
辛いこともいっぱいあるけど、それでもなんとかやってるよと笑い合いたい。
できれば何か一つでも、あの頃とは変わったんだぜってことくらいは示したい。
昔好きだった子と同窓会で会って、「知ってると思うけど、あの頃君のことが好きだったよ」とか言いたい。
高校の頃世話になった先生に会って、なんだかんだ楽しくやってますって言いたい。
悩み相談じゃなくて、笑って酒を酌み交わしたい。
昔付き合ってた子と梅田で会って、その子が「今度結婚するんだ」って言ったら、ありのままの気持ちでおめでとうって言いたい。
卑屈な心で、誰かの幸せにまで水を差したくはない。
そういういつかのために、なんだかんだ下を向きながらも生きているんだと思う。
そういう風に考えると、なんのために働くのかとか、空いた時間をどう使うのかとか、そういったことにも自然と答えが出てくる気がしている。
名誉とか周りの評価とかは、やっぱりどうでもいいのかなということに気づく。
「その瞬間に、自分が笑っていられるか」
そんな行動基準が一つできあった。
たぶん明日からもたくさんの「できないことに」打ちひしがれるだろうけど、そんな自分を支える誰かがいる限り、「あぁ自分は死なないんだ」なんて思えること。
それも一種の生命エネルギーなのかもしれない。