森羅万象から学ぶブログ

怒られて感謝している自分を、遠くで見ている自分

最近怒られる機会が増えた。
増えたというより、できたというのが正解だろうか。

大学時代に誰かに怒られることなんてそれほど無かった。
親に怒られることも、一度高校をやめて戻ったくらいからは、もう無くなってしまった。

社会人一年目になって、怒られる機会ができた。
毎日絶賛怒られ中である。

はじめのうちは、怒られてずーんとヘコんで、「なんて自分はダメなんだろう」とか考えていた。
怒ってくれる人に対して、「なんでもう少し優しく言えないんだろう」とか思ったこともあった。

わたしは平和主義なので、誰とも争いたくはないし、できればいつも笑って過ごしていたい。

そんな自分が、最近怒られると「ありがとうございます」と言っていることに気がついた。
これは何も気に入られようとか、その場を凌ごうとして言っている訳じゃない。

自然とそういう言葉が出てくるようになったのだ。

そういえば何でだろうと考えてみると、怒られることによって、何が正しくて何が間違っていたのかが分かるからかなーと思った。

褒められることによって、何が正しいかは分かるかもしれない。
しかし、小さな過ちの数々はいつまでたっても改善されないままなのだ。

それが怒られることによって、変化のはじめのステップである認知した状態になる。
あとは次同じことで怒られないように行動すれば、ひとまずその件についてはクリアしたことになる。
できなかったことができるようになる。
成長である。

もちろんその気づきを、全て自分で得られればそれに越したことはないと思う。
しかしそんなことができる人はいないだろう。
人にはいろんな視点があって、自分では気付けない部分や特定の人にしか気付けない部分というのが必ずある。

それらのフィードバックを無償で与えてくれるのが、怒るという行動だったりする。

きっと30歳になって、今のように怒ってくれる人はずっと減ってしまうと思う。
ならば今怒られようと思うし、怒られるってすごい貴重な機会なんだなと、そういう風に思えるようになってきた。

もちろんずーんと沈んでしまう時はあるんだけど、そんな時は「もし今怒られなかったらどうなっていたか?」と考えてみると、合点がいくと思う。

キレるとは違うというのがミソで、そこが一つ、パワハラとの違いだとも思う。

そんな怒られて感謝している自分を、いつかの自分が遠くで不思議そうに見ている。
「なんであいつは感謝してるんだろう?」

過去の自分に理解できない、見えていなかった状態になったこと、それもすなわち、成長であろう。