ピザ屋とコミュニケーションの話
先日同僚と飲んでいた時に、コミュニケーションは1 + 1 = 2ではないみたいな話になった。
ざっくり言うと、1 + 1 = 2型のコミュニケーションをする人とそうではない人がいて、同じ年代、同じ部署内の人でもうまくコミュニケーションが取れない時が多々あるという話。
質問に返答することに重点を置いたコミュニケーションと、そもそもの質問の意図を探ろうとするコミュニケーションの違いのような話だ。
その週末、ピザを頼んだ時にコミュニケーションの違和感を感じる場面があったので思考がてら書き記してみる。
最近は、金曜の夜遅くまで飲んで、土曜の昼過ぎに起きてピザを頼むことが多い。
洗濯もしなきゃならないし、飯を食いに行くにもシャワーすら浴びてないんだよなぁって時の最近の定番だ。
健康にも、財布にも、非常に悪い習慣である。
いつものようにiPhoneでサクッと注文して待つこと20分、いつもの兄ちゃんがピザを持ってくる。
ピザの譲渡を終えた後、私はふとこんな質問をした。
「辛いのって、ありましたっけ?」
すると、その兄ちゃんはこう答えた。
「あ、今持ってないんで、店に確認してすぐにお持ちしましょうか?」
たったこれだけのコミュニケーションに、なぜだか違和感を感じた。
たぶん接客としては正解だろう。この兄ちゃんが辛いのを持ち合わせていないということは置いといて。
めんどくさいのでやんわり断ったが、私が期待してた答えってこうじゃないんだよなぁ、そういえば昨日こんな話してたなぁとか思い出していた。
私の質問の裏には、例えばこんな思考がある。
「このピザ屋って、そもそも辛いの置いてたっけ?」
「辛いの無料でもらえるんだったっけ?箱についてなかったっけ?付いてないなぁ、、」
「辛いのくださいって言わなければ、くれない仕組みだったっけ?」
「〜ありますか?」じゃなくて、「〜ありましたっけ?」って聞いているところに、そういった思考の断片が残されている。
そういったものを瞬時に読み取って返答し、「そうそう、そういうこと」みたいな感覚を相手に持たせながら会話できる人がいわゆる「コミュニケーション能力が高い」だと勝手に思っている。
今回の場合、この兄ちゃんは、
ありますか→ありません
でまず返し、こうしましょうかという提案をしてきた。
普通のコミュニケーションなんだけど、何が違和感なのかなぁと考えると、結局返答がNoから始まっていることに尽きるのかもしれない。
普段のコミュニケーションを振り返っても、声をかけづらい人はやはりこの傾向が強い。
一言目に「何で?」って返ってくる人より、「なるほど。で、これは何でこうなの?」みたいに返してくれる人の方が、無駄な感情に支配されずにコミュニケーションができる。
仕事ではそういったコミュニケーションの無駄を省いてシンプルにやるってのも一理あるとは思うんだけど、実のところ自分がそのコミュニケーションをしんどいと思ってしまう。
「あーこの人に相談すんのやめよう」って思ったり思われちゃうと、それこそ円滑なコミュニケーションの障害になる。
だから私は、否定しないコミュニケーションを心がけている、、、つもり。
わかったつもりになる1分のコミュニケーションよりは、本当に意思疎通できた5分の方がはるかに価値があると思っているから、
自分が恐ろしく傷つきやすいから、そんなコミュニケーションを無意識的にやっている。
オチも何もない乱文ですが、一応あげときます。
もう少しコミュニケーション身について整理できる日がくると嬉しいね。