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森羅万象から学ぶブログ

Facebookを見ないという選択

 

 

Facebookの使用を制限することにした。理由は時間のロスと情報過多で少し疲れてしまったからだ。

 

  • 時間を区切って見ていた

以前はSocial FixerというChrome拡張機能を使って一日10分程度でフィードを消化していた。友人の活動が見られるわけだから見た方がいいと思ってそうしていた。だが必ずしもそうではなかった。

 

  • 見ることによるプラスとマイナスはなにか?

プラスは友人の情報が得られること。友人の活動を手助けしたいとは常に思っているので、そのために見ておいたほうがいいんだろうなと思っていた。

マイナスは時間の浪費。ただこれに関しては一日10分だとさほど問題はない。

 

  • Facebookを見ることによる弊害はなにか?

メディアは生活に馴染みすぎて意識しないレベルまできている。だからこそ自分で客観的視点を持って選択していく必要がある。なんとなく無意識では思っていたことだが、言語化してみることでFacebookのメリットだと思っていた部分がマイナスを引き起こしていると感じた。

端的にいうと、Facebookを見ることによってより孤独を感じているのだと気付いた。いや、前からわかっていたことなんだけど。いいねの乱用や世間で認知されたリア充しか生きられない世界は全くもって私のための場所ではなかった。

Facebook上でいいねされる活動がリア充で、いいねされない活動は非リアだというような、いわば「リア充活動の投票」のようなものが日々起こっているのだ。それによって人々の幸せはパーティーと旅行とデートと家族団らんと、、、ありふれたものに標準化されていく。そしてそのことはおそらく、私たちの実際に取る行動にも影響している。

 

TEDTalksでもSNSによる孤独感を話しているものがあったので知っていたのだが、ただなんとなく踏み切れずにいた。

Sherry Turkle: Connected, but alone? | Talk Video | TED

 

Facebook相互フォローであるのに対して、Twitter相互フォローではない。つまり情報の選択の自由度が高い。Twitterも自分のしたい話ができそうな人以外はアンフォローしていく流れになると思う。露骨だがリア充ツイートをする人をアンフォローせざるを得ない。その「人生超楽しい!見て!」を楽しく受け止められるほど豊かな心が無い。

 

  • 発信すればするほど気付く違い

これはたぶん友達が限られているから感じるんだろう。TwitterFacebookも発信する内容が全くもって違う。考えていることが違う。言いたいことが違う。幸せの定義が違う。違う違う違う違うと感じ続けるのはやはり精神衛生上良くない。この違う感覚がいつしかリアルの世界でも起こり、コミュ障を悪化させていく。なので、脱Facebookはコミュ障を直すのにも一役買うんじゃないかと思う。

 

  • たった2日で効果を感じている

「見えない」ことがこんなに楽だとは思わなかった。以前も辞めていた時期があったが戻ってしまったのは留学して海外の友人が増えたからだと思う。これからはメッセンジャーと通知をたまに確認する程度になると思う。

 

  • SNSとの付き合い方

見ない、だが発信はする。これが基本原則となる。大したこと無い写真にいいねがたくさんついて大事な投稿は見向きもされないんだろうが、それでも発信はしていく。動いてみることで面白い動きもいくつかあったから、SNSのいいとこだけを利用していく。女の子はあまりフォローしない。自分の奥の奥の奥に発生するわずかな下心のようなものが気持ち悪いから。発する言葉に興味ある人だけをフォローしていく。

こういった内容をTwitterやブログに出していくことはあまりメリットが無いのだが、それでも晒したいと思うのは見えないものを可視化したいという私の欲求の一部だ。

 

  • 終わりに

ツイートもしたが、この問題は実は全てGoogle+で解決すると思っている。Facebookにもグループ機能があるが、Google+のサークル機能を使えば、見たい友人だけを見るのはごく簡単にできる。一日も早くGoogle+が政権を取る日を望む。それぞれがそれぞれのままでいられるSNSの時代を。乱文御免。