森羅万象から学ぶブログ

面白いを限定することは、面白くない

この人と話すと面白いなーと思う。

その時相対的に、あの人と話すことは面白くない考えている。
 
そうやって面白いこと、もの、人を、誰もが選択している。
その積み重ねがアイデンティティとして構築されていく。
 
でも最近、面白さが限定されてる人を見て少し寂しくなってしまうことがある。
自分が面白いと思って話をしていても、びっくりするほど冷めた反応を返されることがある。
それはコミュニケーションの問題でもあるんだろうけど、比較的なんでも面白いと考えてる自分ってお得なんじゃないかと思えるようになってきた。
 
面白いという感覚が、世間とどこかずれている人は、頻繁に孤独感を感じてしまうかもしれない。
それはとても暗い闇で、誰もがただなんとなく同調して、結局はその人の面白さで別の人やトピックを選択をしていく。
無言の民主主義などと呼んでいるが、そういった個々人の選択によって、善悪や面白さが日々定義されている。
そんなスクリーニングにさらされて、心がボロボロになってしまったこともある。
 
そこで劣等感を感じてしまったら、是非発想を転換させてみてほしい。
10個のことに面白いと言える人と、100個のことに面白いと言える人、どっちが面白いだろう?
そんなの後者に決まっている。
 
どこか偏った趣味や嗜好は、あなたが見つけにくい面白さを見つけられる人であることを示している。
ほとんどの人が知らない楽しみを知っている。
これはアングラ文化を更に掘り下げていく人だけが知ることのできる、最高の喜びである。
 
ここで気を付けたいのは、自分の見つけた面白さに限定してしまわないことである。
そうしていないと、だんだんと面白くないやつになってしまう。
だって、面白さを限定するやつが一番面白くないんだから。
 
趣味が見つからないとか、やりたいことが見つからないという人は、是非なにかに触れるたびに「面白い」と呟いてみてほしい。
そうすると、脳は「何が面白いのか?」を自動で探しはじめる。
そういう無意識操作を繰り返していくと、じつはこの世はものすごく面白いことが分かってくる。
 
皆きっと面白さを限定している。
どういう人が面白いと思っていて、どういうものが面白いかの定義が無意識レベルでは存在する。
その枠がとてつもなく大きい人、また、それをいつでもぶっ壊せる人こそが、本当に面白い人なんじゃないかと、私は思う。
 
だから、これは自戒も込めて、日常にもっとランダム性を取り入れてほしいと思う。
少し違った時間に起きてみるとか、テレビをつけてみるとかつけてみないとか、違う道を歩いてみるとか、近付きにくい人に近付いてみるとか。
 
そうして面白さを広げていけた人間だけが、最後に面白い人間になっていくんだと思う。

平日ちょい飲みのススメ

最近平日の夜を利用してちょい飲みすることが増えた。

以前は次の日のことを考えてまっすぐ帰っていたが、19時に仕事が終わってどうせ飯買って帰るなら社交に使っちゃえばいいじゃんってことを教えてもらった。
最も身近で手軽な社内営業である。
 
やはりいかに生きやすい環境を作るかは自分の未来に大きく影響するだろうと最近考えている。
無人島に放り込まれたらまず家を建てて水場を探すように、命綱をたくさん見つけておくことはきっと先で活きてくる
なーんてことを考えている。
 
ただ話せる人とある程度時間区切ってマシンガントークをするというのは、いつも楽しいだけなんだけど。
人によって引き出しが違う中で、これは自分の引き出しなんだってことも分かってくる。
はじめて話したその日に、「今日飲みに行こーよ」って言って、すぐYesと言えるやつは面白いなと思うし、俺もそんなランダム性を受け入れられる人間でいたい。
 
やっぱり個での関係性以外いらない。だから群れたくないって思考だったんだけど、だったら個での関係性を自分から切り開いてやろうとか、まぁそんなことを考えられるようになったこの頃です。
 
どこかぶっ飛んだやつ探しは今日も明日も続く。

BlackBerry Classicを買った

BlackBerry Classicを買った。

2ヶ月くらい悩んで、もうこのままじゃ先に進めないと思って買った。
だいたいいつもこうだ。
店頭で少し触れるとは言っても、自分で使ってみないと何もわからないから何も進まない。
「僕は自分が見たことしか信じない」
 
まだ1日しか使っていないが、正直に言ってこれはほとんどの人には買いではない。
「そんなこと知ってるよ」という声が聞こえてきそうだが、欲しいマインドで情報収集をしているとなんかいけそうな気がしちゃうんだよね。
 
結論からいうと近々売ってしまうだろう。
それほどiPhoneでできないことは少ないのだ。
 
通知が一つにまとまるBlackBerry Hubという仕組みは良い。
いっそのことAppleが買収して、物理キー付きのiPhoneの開発にいそしんで欲しいとさえ思う。
 
こういうとりあえず買ってみるようなチャレンジはコストがかかるけど、好奇心の強い人間にはどうも必要なフェーズらしい。
次はMacbook ProWindowsを導入する。
しばらくはフリーソフトだけを使って、様子を見てみることにしよう。
 

ポジティブとはなにか

よくポジティブと楽観主義を混同してしまう人がいる。

そこには明らかな違いがあるはずなのだが、それを明確に説明してくれる人は少ない。
 
まず楽観主義とは何かを考える。
楽観主義とは言い換えれば能天気だろう。
つまり、考えることをせずに未来を肯定的に捉えているということだ。
 
対しポジティブ、前向きは考えた上で肯定的に捉えることを指すと考えている。
つまり、起こりうることを考え尽くしてみた結果、こう考えて動くしかない→だからやろうという状態である。
 
ここから言えることは、ポジティブに至るまでには悲観的な瞬間と、一種の諦めが必要であるということである。
 
悲観的というとそれこそ悲観的な思考タイプだと捉えられかねないが、楽観主義でなく物事を捉えるには必ずこの過程が必要なのである。
最悪の事態を考えて、今できることだけを抽出する。
多くの夢物語を諦めることによって、取るべき行動が決まってくるということだ。
 
そこまできて、「怖い」と感じる。
その「怖い」を、考えに考えた実行計画による論理で打ち倒せることがポジティブなんじゃないだろうか。
 
ざっくりしてますが、そんな風に考えてます。

I'm a slope photographer.

「坂が好き」というとあまり共感されない。

タモリさんが坂好きを公言しているが、それでもかなりマイナーなジャンルらしい。
 
「坂写真家」でググってみると、坂写真家を名乗っている人はどうもいないらしい。
そんな訳で今年から坂写真家を名乗ることにした。
A slope photographerである。
なんかかっこいいじゃないか。
 
坂というとどうも歩くのがしんどいとか、ネガティヴな側面をあげてくる人が多い。
もちろんそうなんだけど、一つ坂を歩ききった時に少し筋肉を使って気持ちいいあの感じ、そういったものに気付いてくれると嬉しい。
 
先が見えないというのも良い。
これは曲がり角と組み合わさることでより趣がある。
階段でもいい。その先に何が広がっているのか、そのワクワクがないとやってられない。何もない砂漠を歩いている気分になる。
 
長い下り坂を眺めると、人々の生活がパノラマのように凝縮されて映る。
長い上り坂の先には下り坂があるのか?どんな景色が見えるのか?そんなことを楽しみにすればネガティヴな側面は小さなものとなる。
 
東京は坂が多い。
わたしの住んでいた川崎市大阪市内は坂はあまりない。
オランダもほとんどが海抜ゼロ以下なので、坂なんて見た覚えが無い。
 
今年はたくさんの坂や階段、奥行きのある写真を撮りたい。
できればそれを誰かに見てもらい、何かを感じ取ってもらえれば幸いである。
仕事で歩くことも多くなるが、どんな坂に出会えるか楽しみである。